昨日Twitterで、こんなことを書きました。
1)新たな稼ぎ方をする
2)新たなつくりかたをする
3)新たなひととつくる
4)地域に密着する
5)建物にこだわらない
これからの建築家は、このどれかである、と。
天才アーチスト系建築家は、これまでも、これからも、いつの時代にも少数気鋭で存在し続けると思うので、敢えてここには含ませていません。
ま、仮にね、こうなるとすると、
それぞれ手がける規模とかも、変わってくると思うんだよね。大きなものはもう、作られない!っていくら言ったって、その数が少なくなるにしても、皆無にはならないだろうし。逆に、ひとつの建物なんかより、もっと大きな規模のものに、関わらなくてはならないひとも、出てくるかも知れない。
でも、私が言いたいことは、どういう建築家になろうとも、社会に貢献するつもりで、建築やってるひとは、やっぱり、仲間じゃないか、ということなのね。
年をとったひとには、最近の若者は、大きな規模の建物をつくる野心がない、とか言わないで、そーいう時代であることや、たとえ小さな規模であっても、現実的に動いて、着実に社会を変えていることを、喜んで欲しいと思う。
若者も、年配者の大規模ビジョンは、絵空事だ、時代に合わないなどと捨て去るのではなく、参照して欲しいって思う。研究者だってさまざまな発見をしてるんだから、それが社会に接続していないって非難するんじゃなくて、接続そのものを自分が設計してあげるつもりでいないと。
社会にコミットすること、小さな規模であることが、現代的であるからと言って、へんに賞賛されなくたっていいし、もちろん逆もしかりで、そこは、突っつき合ったって、生産的な批判には、ならないと思うんだよね。
私がおじさんおじさんって揶揄するひとっていうのは、単に熟年の男性を指しているのでは当然なくて、そーやって、建築やってるひとどうしで、村の中でだけ、いばったり、ケチつけたりするひとのことなんだよね。若い人の中にだって、いくらだっているよ。
だまされちゃだめよ。敵は世代間とか、建築村の中にいるんじゃないんだよ。それはもっと違うひと、違うもの、違う世界の中なんだ。
田中元子(たなか・もとこ)