mosaki | TOKYOTOKYOTOKYO!!!

大好きな東京から発信する建築系クリエイティブユニットmosaki(田中元子+大西正紀)のブログ

建築意匠に携わる人々は今、ワクワクしているだろうか。

建築意匠に携わる人々は今、ワクワクしているだろうか。
7年後にオリンピックが来る。関わり方にもいろいろある。今ならまだ、やれることがある。そんな中で、ワクワクしているだろうか

建築意匠がワクワクしてはいけないようなムードになって、どれくらい経つだろう。もう新しい建物は要らないんだ、つくること自体が罪な時代なんだ、すべてがシュリンクする一方なんだ。そう聞かされて、どれくらい経つだろう。

それでもワクワクしてなきゃならないのが、

 


つくる者の使命だと思った。子どもに希望を見せるために、おとなはどんな時代においても、ワクワクしながら生きていかなきゃならない。それと全く同じ理屈で。


建築という言葉は深い。私たちはもう、時代とともに、それが建築物のことだけを指すのではないのではないか、という問いと、対峙しなくてはならなくなった。

巨匠がインテリや金持ちのために作品を作る。それは、いつの時代にだってある。知性を伴ったブランド品のようなものだ。だけど、そうじゃない建築は、流動的で柔軟で、かつ普遍的にワクワクしていなくてはならない。

自分が設計した建物を引き渡すとき、子どもが巣立つようだ、と喩えるひとがいるけれど、設計した本人以外から見れば、大人がひとり、世の中に出てくるようなものだ。建物に限らず、物質でできているデザインのすべてが、人々の活動を規定したり、誘導したりする可能性があるからだ。その責任を、子どもは負うことができない

医者、弁護士、建築家。その中でクライアントが希望に満ちたときに仕事をもらえるのが、建築家だという話もある。だけどね、それは一昔前の、あるいは一部の話だと思う。建築家は、自分から希望のありかを見つけていかなきゃならない。ワクワクのしかた自体をデザインして、提示して見せなきゃならない。それができないのなら、やがてこの仕事は21世紀で止まる伝説になってしまうだろう

たなかもとこ

f:id:mosaki:20140118135023j:plain