mosaki | TOKYOTOKYOTOKYO!!!

大好きな東京から発信する建築系クリエイティブユニットmosaki(田中元子+大西正紀)のブログ

誰かのため、何かのために、先回りしておかねを使う仕組みを

ここにコンビニがあったらなあ、って思う街角がある。

でもさ、ここにあったらなあってところに限って、そこまで人が行き来するわけでは、なかったりするじゃん?コンビニって薄利多売で、相当売り上げていないと、その場所で存続できないって言われてるよね。他にもそういうサービスや施設はあるはずで、そういう事情が積み重なった結果、人の「密集してるところ」が人にとって「便利なところ」になる、つまり人口が減少するこれからも、都会に過密していく、ってことじゃん?

 

 

へんなこと言うようだけど、これって、ふつーに自分のことだけを考えるひとや企業だけが集まった、あくまで結果論として、支え合う構造になっているってことなんだよね。なんとなく、これは前時代的なことじゃないかと思ったの。

じゃ新時代的なのはどーいうのかっていうと、たとえば、ダイレクトに自分のためには見えないようなこと、誰かのためとか、何かのためとかに、先回りしておかねを使うっていうのは、どうかな。街のコンビニに存続して欲しかったら、一定の売り上げさえあれば、そのコンビニは続けられるようにしてあげるとか。

結局、何が欲しいかって言ったら、自分に直接まとわりつくもの、つまり自分が直接おかねで買えるもの以外の何か。例えば街の環境みたいなものも、含まれていたりするじゃない。自分が欲しいものを手に入れるってことなんだ。手段は間接的だけど、欲しい気持ちは直接的だよ。

そういうことにおかねを使いたいと思っても、使い道がどこなのか、よくわかんなかったりする。街に寄付すればいいって?でも寄付した後、実際そのおかねがどう使われるのか、よくわかんなくない?

税金ほど、国や都っていう大きな組織に徴収されるものではなく、もっともっと身近で、もっともっと、使い道がわかるもの、私はこのためにおかねをかけてるんだってリアルにわかるもの。そんなお金の使い道の、受け皿があったらいいなって思う。

田中元子(たなか・もとこ)