アドラーが提唱した「しあわせの3条件」って知ってる?
いろんな心理学者や哲学者がいるけれど、私のちょー微々たる知識の中で、ちょっと興味持ってもいいかな、って思えるひとは、哲学者ハイデガーと、心理学者アドラーです。(この分野に詳しい方は、こう書いただけで、私がだいたいどんなひとか、わかってしまうかも知れない!)
今回は、アドラーの話ね。
アドラーが提唱した「しあわせの3条件」って知ってる?
1)自己受容(自分のことが好きであること)
好きっていうと大げさに聞こえるけど、要は、うんいい感じ、OK!って言える感覚。私の解釈で言うと、自分のことを、自分で許せることだ。
2)他者信頼(他人を信頼できること)
信頼っていうと大げさに聞こえるけど、要は、他者や社会ってものと、協力できるような感覚。私の解釈で言うと、誰かと一緒に生きてるという逃れられない事実に対して、希望を感じられることだ。
3)貢献感(自分が誰かの役に立てること)
貢献っていうと大げさに聞こえるけど、要は、自分が誰かの、あるいは何かの、役に立ててるって感覚。私の解釈で言うと、「ありがとう」って言われるとうれしい!っていう、あの感覚のこと…って書こうと思ったけど、それは微妙に違うな。
エニウエイ。
この3つが満たされていると「しあわせ」なんだって。
これね、初めて知ったとき、涙がこぼれるくらい感動した笑。
それはともかく。
こっからは、私の個人的な考えね。
私は基本、この3条件は、点と点でバラバラに存在しているとは思っていなくて、正三角形の川のように、流れ合い、影響し合っていると思ってる。そして私は普段、この3条件をバランスよく持ち、行動に表しているひとのことを、いわゆる「いいひと」って呼んでいる。
そのうえで、私は思う。
21世紀型の建築は「いいひと」じゃないと、つくれないって。
建築だけじゃないかも。純粋芸術を除いた、ものづくりのほとんどにおいて、そうなんじゃないかって思ってる。
かつては、どんな分野であれ、そのステージで「自己実現」を果たして成功しているひとが、スターだった。その姿は「大衆」の眼に、きらきら輝いて映った。自分もそうなってみたいって、思わせる訴求力があった。
(個人的には「大衆」という概念自体が消えると思っているし、どうしてそんなスターがキラキラできたのかっていう背景についても、いろいろ考えてることがあるけど、そこはちょっと今回は、割愛ね)
でも今は、ちがう。
それは個人的な予感でもあるし、取材やインタビューを通して、その予感は間違っていないなって、確信を重ねてる。
・・・なんか、長くなってきちゃったから、その確信に至った具体例だとか、その具体例を伝えるためには、既存の(建築の)(マスの)メディアには、限界がきてるよね、っていう話とか、いろいろ、続きはまた、今度ね。
アルフレッド・アドラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレッド・アドラー
今回の3原則のほかにも「いいじゃん」って思える考え方や心理学的なやり方を、たくさん残しています。
どんな哲学者や心理学者も、著名なひとだと、知れば知るほど「こいつ早ええ!」って驚嘆するけど、アドラーもまた、早ええよなあ。
田中元子(たなか・もとこ)