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大好きな東京から発信する建築系クリエイティブユニットmosaki(田中元子+大西正紀)のブログ

新国立競技場のシンポジウムと建築夜学校。

新国立競技場のシンポジウム、建築夜学校。同日、同じ時間に行われた、ふたつのシンポジウムの内容が何とももどかしくて、荒れた日々を送っているんだけど、考えてみたら、いろんな意味で過渡期というか、善く考えたら成長期なのかも知れないし、そうであって欲しい、と思う。

だって15年前、表参道の青山同潤会アパートが取り壊されるとき、業界の人たちは、ほぼ何もしなかった。決まって出てくるのは、建築学会など各種団体から提出される保存要望書、それだけ。それだけでみんな何かを「達成」してたのだ。今回行政が問題の対象となる中、保存要望書一枚で終わらせてしまうことと、メディアに見解を発信して世論に問うような動きの効果、どちらが現実的に効くのかと言えば、まだ後者のほうに希望がある気がする。

今回、槇さんが火をつけることになったことは気掛かりだが、

 

コンペの詳細を知る人物、情報を把握し公開できた人物は限られていたわけで、仕方ないのかも、とも思う(個人的には、もっと下の世代のどなたかによって、槇さんが動く前にやれたなら、って思う)。

シンポジウムに安藤さんがいなかったことが個人的には最大の懸念であり、同調者の集まりみたいになってんじゃないかって思ってるけど、具体的な活動に向けて決起する機会であると捉えたい(そういう動きがまるで聞こえてこないのが、新たな荒くれ要素なんですけど!)(シンポジウムがあってから、まだ日が浅いからって?いや、そんなの同日の深夜に声明文出てくるくらいじゃないと!)。

幸か不幸か、経済的な現実を見ても、縮小案を練る方向に進まざるを得ないようだし(じゃあシンポジウムは何のためだったのかって話もあるけど)今後の行方としては、ザハが縮小案も最後まで手がけることが、個人的な希望です(そういう方向に進むよう、都に迫るにはどうしたらいいか、という作戦を練るシンポジウムだったりすると、さらに進化を感じられたんだけど)。少なくとも今回の件は、選ばれた建築家のせいではなかったはずなのだから。

建築論争に社会という現実が伴うことこそ、保存にしろ今回のような計画案にしろ、具体的な結果に向かう王道の道筋だと思うし(それが今まであまりになさすぎたことに憤りを…って何度もすみません…)今回、それに少し近づいているならいいな、と思う。

建築夜学校のほうは、なんというか、木下さんと柄沢くんという両極端なふたりの登壇者が象徴するように、完全に「理論」VS「実践」という異種格闘技戦だったわけだけど、個人的には、その異種格闘技戦にどんな意義があるのかと、小一時間問いたい。

今後建築家という存在は蒸発していくんじゃないか、というのは常々思っていることなんだけど、建築家に建築を建てて欲しいと思う人は、過去も今も今後も一定数いると思うし、その人々が理論系建築家を選んでも不思議ではないわけで、マニアックな世界で生き延びる存在だとは思う。しかし実社会で実践することは、マニアの世界の話じゃない。

そして大事なことは、実践することを待ったなしで求められている都市が、すでに日本に溢れ出していることじゃないかと思う。その現実の中で「理論」VS「実践」の異種格闘技は、業界に対して具体的な実践について考えさせるという意味では有意義だったと言えなくもない。そう考えれば成長的というか、現代的な人選だったと言えるし、でも、それが意図した目的のひとつであるならば、異種格なんてまどろっこしいことをしないで、実践をテーマの中心に据えればよかったのではないか、とも思う。

いずれにしても、業界はすでに都市の現実にキャッチアップしきれていないことだけは確かであって、私は、各種運動なり議論なりが、よりリアルな社会的共有がはかられることをめがけて、成長して欲しいと思っている。今回のふたつのシンポジウムがその予兆であったかどうかは、もうちょっと時間が経ったときにわかるんじゃないか…

…って思ったけど、この問題に限ってはやっぱり、時間は何も教えてくれない!すぐに動かなきゃならないんだ、やっぱだめだ!!!(荒れる方向に続く)

たなかもとこ

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